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札幌地方裁判所 平成8年(ワ)3070号 判決 1998年12月14日

主文

一  被告は、原告に対し、金五三万一三一〇円及びこれに対する平成七年一〇月二七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  この判決は仮に執行することができる。

理由

【事実及び理由】

第一  原告の請求

主文と同旨

第二  事案の概要

本件は、高速道路(高速自動車国道)を走行中の普通乗用自動車が、道路上に飛び出した野生のエゾシカと衝突し、車両を破損した事故について、車両の所有者である原告が、道路管理者である被告に対し、道路の設置管理の瑕疵を主張して、国家賠償法二条に基づき損害賠償を請求した事案である。

一  前提となる事実

1 次の交通事故が発生した(事故態様を除き、争いがない)。

(1) 発生日時 平成七年一〇月二七日午後九時一〇分ころ

(2) 発生場所 小樽市新光町三三九番地、札樽自動車道上り車線上(米里起点から西方向三三・八キロメートル地点)

(3) 被害車両 原告所有の普通乗用自動車(タクシー)

(4) 事故態様 齋藤功が被害車両を運転して、走行車線を時速八〇キロメートルで小樽市方向へ走行中、前方右側の追越車線から野生のエゾシカ(体長一・六メートル、体高一・二メートル)が走行車線へ飛び出して車両前部に衝突し、被害車両が破損した。

2 本件道路は札幌市と小樽市とを結ぶ高速自動車国道であり、被告は、その道路管理者で、国家賠償法二条の公共団体である(争いがない)。

二  争点

1 道路の設置管理の瑕疵

(原告の主張)

(1) 事故発生の予見可能性

近年、野生のエゾシカの個体数は急激に増加し、北海道のエゾシカ分布調査によっても、平成三年当時には本件道路近辺にエゾシカの分布が確認されている。また、平成六年ころから春香山、毛無山の周辺にエゾシカの群れが確認され、その山域に当たる事故現場周辺にもエゾシカが出没して、平成七年一月二〇日には、事故現場近くの国道五号線上をエゾシカが横断し自動車が急停止した事態も発生していたから、被告は、当然に本件道路上でのエゾシカとの衝突事故の発生を予見することができた。

(2) 防護設備の不存在

被告は、本件道路へのエゾシカ進入による交通事故防止のための安全設備として、防護フェンスなどを設置すべきであった。本件道路には、事故現場付近にそのような防護設備の設置がなかったから、道路の設置又は管理に瑕疵があった。

(被告の主張)

(1) 予見可能性の不存在

札樽自動車道においては、昭和四六年の開通以来、多数の車両が走行してきたが、エゾシカとの衝突事故が発生したのは、本件事故が初めてである。事故現場の周辺地域は、エゾシカが安定して生息する分布域ではなく、エゾシカの季節移動のルートにも当たっていない。エゾシカは一〇月の発情期に生息地の群れから離れて放浪する傾向があり、本件事故に遭ったエゾシカも、その結果たまたま事故現場に出現した可能性が高いものであるから、被告には、道路管理者として、エゾシカの出現についての予見可能性はなかった。

(2) 被告の管理行為

被告は、本件道路について、定期的に一日当たり一〇回の道路巡回業務を行うなど、高度な連路管理業務を行っている。事故現場付近における直近の道路巡回時間は、朝里インターチェンジ通過が午後八時四七分であり、その際にはエゾシカの姿は確認されていない。したがって、エゾシカはその後、午後九時一〇分ころまでの間に本件道路に進入してきたものと推測されるが、道路巡回業務の合間に進入してきた動物を排除できなかったからといって、被告の道路管理に瑕疵があったとはいえない。

(3) 防護設備の具体的必要性の不存在、予算的制約

道路に要求される危険防止のための防護設備は、道路の構造、場所の地理的条件、利用状況などの事情を総合的に考慮したうえで、具体的に通常予測される危険の発生を防止しうる程度のものをもって足りる。被告においても、エゾシカ対策を何も講じていないわけではなく、北海道の自然特性に配慮した道路の建設、管理を目指しており、道東自動車道では、エゾシカの生息が確認されている箇所にはかさ上げした防護フェンスをあらかじめ設置している。しかし、事故現場付近の本件道路には、防護設備を設置すべき具体的必要性は認められない。

エゾシカ対策用の防護フェンスを設置する場合、一キロメートル当たり一〇五〇万円を要し、北海道内で開通しているすべての高速道路区間に設置すると、その費用は八六億円になり、北海道内の今後建設計画のある高速道路区間も対象とすると、その費用は二九〇億円と甚大なものになる。しかも、このような費用を掛けても、エゾシカの進入を完全に防ぐことは不可能である。道路の建設費や管理費の節減が求められる中、通行料金の額にも反映しかねない過剰な設備を設置するような対策は、社会的、経済的にも利用者である国民に容認されるものではない。

2 原告の損害

(原告の主張)

(1) 車両修理代金 三二万五〇〇六円

(2) レッカー代金 一万四九三五円

(3) 修理期間中の休車損害 九万一三六九円

(4) 弁護士費用 一〇万円

3 原告側の過失

(被告の主張)

被害車両の運転者は、本件道路上にエゾシカがいることに気付いたにもかかわらず、その脇をすり抜けて走行しようとした。通常、道路上に障害物があれば、運転者は徐行あるいは停止し、速やかに道路管理者に通報すべきであるのに、そのままの速度で走行してエゾシカに衝突したのであり、その運転行為には過失があった。

第三  争点に対する判断

一  道路の設置管理の瑕疵について

1 道路の設置又は管理の瑕疵については、道路の構造、場所的環境、利用方法など、さまざまな事情を総合考慮して、その道路が通常備えるべき安全性を欠くものかどうかを具体的、個別的に判断すべきものである。

2 《証拠略》によれば、本件道路の構造、場所的環境、利用方法などについて、次の事実を認めることができる。

(1) 本件の事故現場は、被害車両の進行方向に向かって左にカーブした切り土部分の道路上であり、道路の両側は草の茂った大きな法面が立ち上がっていて、前方の見通しは必ずしもよくない。事故現場付近の法面のとぎれた箇所は、道路の左側が草地から山林へと続く地形になっていて、本件道路との境界にガードレールや低いフェンスが設置された部分もある。しかし、それらはエゾシカの進入を防止しうる程度のものではなく、法面から本件道路ヘエゾシカが進入することも容易であった。事故現場の付近には、エゾシカとの衝突事故を防止するための設備は特になかった。

(2) 北海道において、エゾシカは、道東部から道央部にかけて連続して広く分布しているが、近年、エゾシカの個体数は爆発的に増加し、従来の分布域が飽和状態となって、道東、日高から留萌、石狩、渡島へと分布域が拡大する傾向にあり、道西部と道南部でも小さな分布域が散在している状況にある。小樽市周辺の地域においても、北海道などが行った調査によれば、昭和五〇年代までは生息情報が得られていなかったが、昭和六〇年以降には生息情報の得られた地域が散在するようになった。北海道猟友会小樽支部の支部長ほか複数の地域住民は、平成六年から平成八年にかけて、本件事故現場近くでエゾシカを目撃した体験を有している。

(3) 被告は、本件事故以前には、札樽自動車道における自動車とエゾシカとの衝突事故は把握していなかったが、被告が管理する道央自動車道の登別室蘭インターチェンジと旭川鷹栖インターチェンジ間、道東自動車道(平成七年供用開始)の清水インターチェンジと池田インターチェンジ間の高速道路上においては、昭和六三年から平成七年までの八年間で、自動車とエゾシカとの衝突事故が七九件発生した。札樽自動車道においても、本件事故の後、平成八年一月に、本件事故現場から七キロメートルほど離れた地点で、自動車とエゾシカ三頭との衝突事故がさらに一件発生した。

(4) 札樽自動車道の年間交通量は、本件事故現場を含む銭函インターチェンジと朝里インターチェンジ間の区間についてみると、平成六年が七二七万七九六一台、平成七年が七四〇万三九五四台であった。

3 以上の事実によれば、本件事故当時、事故現場付近にエゾシカが出現することについて、被告は予見が可能であったということができる。本件道路は高速道路として一般の利用に供されており、高速道路においては、当然のことながら自動車は高速で走行し、高速で走行中の自動車が道路上へ進入したエゾシカのような大型野生動物との衝突を回避することは必ずしも容易ではないから(エゾシカなどの動物は距離の判断ができず、自動車が接近しているのかどうかが分からないで事故に遭うといわれている。乙四)、エゾシカが高速道路へ進入した場合には、自動車との衝突事故が発生し、重大な事故に至ることも十分に予測することができる。

このほか、本件道路の交通量なども総合考慮すると、エゾシカの進入を防ぐために、事故現場付近には防護フェンスその他の防護設備を設置する具体的必要性があったと認めることができる。ところが、このような防護設備は設置されていなかったのであるから、本件道路は、高速道路として通常備えるべき安全性を欠き、その設置又は管理に瑕疵があったといわなければならない。

4 本件の事故現場付近は、前記のとおり北海道内の他の地域に比べてエゾシカの生息数の少ない地域であり、大泰司紀之北海道大学教授は、付近一帯を調査した結果、事故現場付近は、エゾシカの夏季の季節的生息地としての条件はあるが、越冬地が付近にはないことから、安定的な夏季の分布域となる可能性はさほどないと考えられるとの報告をし、また、本来分布していない地域にエゾシカが現れた理由として、本件のエゾシカは一歳半の雄ジカと考えられ、このようなエゾシカは一〇月の発情期になると雌の群れから追い出されて放浪する傾向があるから、そのような事情によるものであろうと証言している。しかし、安定的な分布域でなければエゾシカが出現しないというものではなく、それは頻度の差にすぎないと考えられるし、また、本件事故後の平成八年一月に発生した衝突事故については、発情期という視点からの説明はつかない。結局、大泰司教授の証言その他の証拠を検討しても、本件の事故現場付近は他の地域と比較してエゾシカが出現する蓋然性が低かったということが理解できるにとどまり、それをもってエゾシカ出現の予見可能性がなかったということはできない。

また、被告は、札樽自動車道においては一日一〇回の道路巡回業務など高度な道路管理業務を行っていると主張しているが、だからといって、エジシカの進入を防ぐことができるわけではないから、そのことが本件道路の設置又は管理の瑕疵を否定する理由になるものではない。

さらに、被告は、予算的な制約があることも主張するが、もとより、本件の事故現場付近に防護フェンスなどの防護設備が設置されておらず、それが道路の設置又は管理の瑕疵に当たるとされたからといって、被告が管理する高速道路全体について防護設備の設置の必要性が生じるわけではない。また、防護設備の設置に多額の費用を要するとしても(ただし、高速道路の建設に必要な費用の全体からすると、防護設備の設置費用が甚大であるとは思われない)、そのことにより直ちに道路の設置又は管理の瑕疵によって生じた損害賠償責任を免れるものと考えることはできない。

5 自動車の運転者は、高速道路には走行の障害になるようなものはなく、高速で安全に走行することができることを信頼して、それだからこそ、必ずしも安いとはいえない通行料金を負担してでも高速道路を利用する。高速道路が通常備えるべき安全性は、このような利用者の信頼にこたえることができる高度のものでなければならない。

高速道路における大型野生動物との衝突事故は、人命にかかわる重大な結果をもたらす危険をもつ。エゾシカが出現する蓋然性が低く、他方、防護設備の設置には多大な費用を要するというような費用対策効果の考え方によって、高速道路の安全性が十分に確保されないということがあったとすれば、それは、まさに利用者の容認するところではない。

二  原告の損害について

《証拠略》によれば、本件事故により、被害車両にはフロントガラス全体にひびが入り、車両前部から右側を中心にヘッドランプやフェンダパネルが損傷するなどの破損が生じたこと、原告は、その修理代金として三二万五〇〇六円、修理工場までのレッカー代金として一万四九三五円を支出し、修理期間中タクシーとしての稼働ができなかったため、休車損害として少なくとも九万一三六九円の損害を被ったことが認められる。

本件事故と相当因果関係のある弁護士費用としては、一〇万円を認めるのが相当である。したがって、本件事故による原告の損害は、合計五三万一三一〇円となる。

三  原告側の過失について

前記のような事故現場付近の道路の状況や事故の態様を考慮すると、証拠によっても、被害車両を運転していた齋藤功には、本件事故について過失があったというような事情を認めることはできない。

口頭弁論終結の日 平成一〇年一〇月五日

(裁判長裁判官 片山良廣 裁判官 古久保正人 裁判官 池田聡介)

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